師匠を攻略せよ

師匠の使い方

どうも、コーレス骨折の記事の執筆に1週間を費やしていたほねゆきです。(ちゃんと接骨業務もしてたからね!笑)

最近は動画編集やアニメーション制作について、再度勉強し直しているところです。

ほねゆきは柔整師としては、いろいろな事に手を出している方で、この精神?は昔から変わらず、よく、「一つのことに集中しなさい」と諸先輩型からは怒られました。

接骨院以外の仕事でお金を生み出したり、骨折以外の勉強に時間を費やすことに対して、昔の先生たち(言い方が悪くすみません)は「けしからん」と言います。

本当にけしからんことなのでしょうか?

ほねゆきはそのお説教があるたびに、華麗にそれを聞き流していました。

そこで頭の硬い人に対して「いや、違うんですよ」って言っても、無駄だからね。

だって、色々できた方がいいじゃん。

皆さんは、いわゆる本業(この言い方も古いよね)以外に何か仕事をすることに対してどう思われますか?是非、コメント等で教えてください。

というわけで、今日はそんな師匠の話です。

聞き耳を立てる

もう6月となり、接骨院で研修している学生の皆さんは、低周波治療器の操作をはじめとする施術の補助をしているのでしょうか?

まだ掃除などするだけで、師匠や先輩のやることをみているだけですか?

雇われ院長である人は別として、研修生や勤務柔道整復師の皆さんには院長先生がいるでしょう。

初検の患者さんが受療した際、院長先生は何(どこ)を見ているか、理解しているでしょうか。

仕事をしながらですから、じっと院長先生を注視しているわけにはいかないでしょうが、できるだけその時の院長先生の動向を観察してみてはいかがでしょうか。

待合室から施術室に入ってきた初検の患者さんの何を観察しているか?負傷原因や主訴について、どのような問診の方法を用いているか?視診、触診、検査には、どのような手順で、どのような方法を用いているか?

患者さんに対する説明では、どのような話し方をしているか?実際の患部の状況をそのまま伝えているでしょうか?

それとも、なにか違う言い方をしているでしょうか?

ほねゆきが研修していた頃は、ポケットに小さな紙切れと鉛筆を入れていました。

ほねゆきの場合はとりわけ、師匠(院長先生)が触診する際の位置や、患者さんに対して病状の説明を行う内容について興味がありました。

ですから、自分が施術に携わっていても、ふらふら~っとお師匠さんの手先が見える位置まで移動したり、聞き耳を立てて院長先生の話し方を聞いていました。

「見習い」とは?

ほねゆきの研修先の師匠は、現在のほねゆきと同じくある柔道整復師の学校の非常勤講師を務めていました。

研修開始から3年目くらいでしょうか。

ですから、お師匠さんが講義のために学校に行く日、ほねゆきは、師匠や後輩が帰ってくるまでは1人で施術に当たらなければなりません。

柔道整復師免許は持っているとは言え、見習いの分際です。(ーー;)

「師匠の代理」という責任はほねゆきの肩に大きくのしかかり、「初検の患者さんは来ないように!」なんて祈る思いです。(ダメなマインドですね笑)

でも、そんな時に限って、初検の患者さんがやって来るものです。

「師匠なら、こういう風に見るだろうな」なんて、師匠の診察の仕方を思い出しながら自分も真似てみます。そして、診断(判断)をつけます。

次いで、患者さんに対して病状の説明。

恐らく、お師匠さんの手つきや話し方ばかり考えながら、患者さんに接していたのでしょうね。

当時のほねゆきは患者さんたちから、「ほねゆき君は、院長先生のコピーみたいだね~。言うことも、言い方もそっくりだ!」なんてよく言われました。

そりゃそうでしょう。

師匠が行う患者さんの診察方法にはじまり、説明の方法に至るまで、全てお師匠さんの真似をすれば間違いない!なんて思って施術に携わっていましたから。

ほねゆきからすれば、そうしないと怖かったのです。

正に、「見習い」・・・見て習うですね。

押し付けるわけではありませんが

接骨院で研修したり、施術に携わっている人は、ただ単に与えられた仕事をこなすのではなく、院長先生の動向をチェックしてみると面白いかもしれません。

そう言えば、開業した今のほねゆきもなお、師匠のコピーのままって言うところがあちこちにあります。

いや、それだけじゃありませんでした。

ほねゆきが見習いをしていた頃、師匠は学校で教鞭を執っていたことは既にお話ししましたが、
ほねゆき自身もいつの間にか、接骨院を開業しながら学校で教鞭を執っています。

柔道整復師であって、柔道整復師専科教員であるというスタイルまで真似てしまったようです。

それだけではなく、ほねゆきの講義での話し方や、日常生活の話し方も、所々に師匠の名残りがあると自覚しています。

「三つ子の魂百まで」と言われますが、ほねゆきの見習いしていた頃は、ほねゆきが柔道整復師としての三つ子(3歳児)だったということかもしれません。