「転位がない骨折」なんて、ない?

手首のレントゲン

みなさん、いかがお過ごしてでしょうか。外傷柔整師ほねゆきです。

「もう年末だね〜」と話すようになった今日この頃ですが、そんなこと言っているうちに入学シーズンが始まることをほねゆきは知っています。(みんな知ってる。)

さて今日は、「転位のない骨折」について少し考えてみたいと思います。

先日、教え子の先生からある症例についてお話をいただいたことから話は始まります。

症例相談を受けた

接骨院を営んでいる教え子の先生から、「レントゲンを見て欲しいんです」とメール相談がありました。

質問の内容はおおむねこんな感じでした。

小児の橈骨遠位端若木骨折で整形外科にて「転位がないから、そのままですぐ治るよ」と言われてシーネ固定されているが、固定しても痛がっており転院してきたが、整形外科で言われたようにそのまま経過を見るだけでいいのか困っている」

そして、以下のような画像が添付されていました。

患者さんのご好意で掲載許可をいただきました。

さて、みなさんがこのような相談を受けたらまず何を思いますか?

画像で何が見えるか

まず、ほねゆきはこのような画像相談があったときには画像上の異常をパッと見るようにしています。そして、経緯を聞きます。

今回は骨折診断されただけでも良かったのかなぁと思いますが、皆さんは骨折がわかるでしょうか?

治療が適切に選択できなければ画像上で骨折を見つけることには何の意味もないのですが、まずは骨折があることを皆さんと共有しなければいけないと思います。

骨折部にマーキングしました。

正面像しか見ていないので絶対とは言いませんが、ほねゆきは上記で若木骨折があると思います。

よく見ると、橈骨骨端線より近位の橈側で皮質がひしゃげているのがわかると思います。

レントゲンのみしかも正面像しか撮っていないと言いますから、おそらく、最初の整形外科でもここを若木骨折と判断したのだろうと思います。(それか、レントゲンというより臨床症状での判断でしょうか。)

転位があるかないか

さて、整形外科での患者さんへの説明では「転位がないから、そのままですぐ治る」と言われたといいます。

この短い文章の中に疑問はいくつもあるのですが、今回は「転位がない」というところに注目してみます。

おおよそこの先生が、〈本当にそう思って言っている〉のか〈あくまでも患者説明として事実とは違うことをあえて言っているのか〉は分かりません。

ただ、基本的な考え方として転位が軽微なものはあっても、転位が全くない骨折はないと私は習いました。

骨折をどう捉えているかで、見る人によって言葉の使い方が変わるんだろうと思います。

我々は体に起きている現象をいくつかのフィルター(検査や前提となる考え方)を通して日常的に見ています。

それが人によってはレントゲンであったり、エコーであったり、MRIであったり、組織像であったり、細胞・分子の変化であるわけです。

おそらく、人によって「転位がない」とか「転位はある」とか意見が別れるのは、どの角度から物事を考えてるか、どの角度から骨折を捉えているかの違いによるものです。

電子顕微鏡の原理JIMIMA より画像を引用

ほねゆきの個人的な認識からすると、〈骨折=骨組織に破綻が生じたもの〉で〈転位=骨組織が破綻した時のズレ〉のことといった感じです。

ほねゆきは割と染色された状態の骨の組織(光学顕微鏡でのみえかた)に親しみがありますから、骨の転位をどこまで想像するかと言ったときに、組織像を思いかべて考えます。

そして、たとえばレントゲン画像やエコー画像を見たときにもその組織像を脳内で思い浮かべ、画像的に転位がないように見えても、「転位がある」と言ってしまいます。

私の中で転位とはそういうものです。

つまり、骨組織に破綻が生じた状態=転位がある状態=骨折と言ってしまってもいいのではないかと思っています。

今回の画像は?

そこで、もう一度今回の画像を見てみましょう。

わかりづらいですが、すでにレントゲンで皮質のクニっと感が見えています。

つまり、肉眼レベルで骨折がわかります。だから骨折と診断もついています。

私は、この症例は厳密に言うと、「転位は軽度でレントゲンでは分かりづらいが、あるかないかで言うとある」と言えると思います。

なぜそこにこだわる?

なぜこんなにめんどくさいことを考えているのかというと、治療をどうするか、ひいては組織学的・細胞学的に骨折がどうなっていくかを考える必要があるからです。

なぜ、人によってはこのような症例を「転位がない」と言ってしまうのかを考えたときに、「転位がないから〜」といった感じでそれに続く部分に〈治療をどうするか〉を考えて発言しているからだと、ほねゆきは思います。

「転位がないから、整復はしなくていい」
「転位がないから、固定はシーネでいい」
「転位がないから、固定期間は短くていい」

など、そういったことを考えて「転位がない」という表現をするのだと思います。

もちろん、治療の判断基準は人それぞれあっていいです。

しかし、組織治癒を考えた時に、果たしてその〈画像で転位がはっきり見えるかどうか〉という基準で治療のあり方を判断することが正しいのかは甚だ疑問です。

つまり、上記例の転位と治療の選択は直接・直線的な関係にしてはいけないということです。

「画像上は転位が少なく見えるが、あくまでも骨組織は損傷があるので、その治癒過程を遅延なく進めるためには整復してリモデリング期を短縮させた方がいいだろう」

「画像上は転位が少なく見えるが、あくまでも骨組織は損傷があるので、初期は強固な固定をして炎症のターンを最短で終わらせるべきだろう」


「画像上は転位が少なく見えるが、あくまでも骨組織は損傷があるので、一定の固定期間を設けなければ機械的刺激が入りすぎて新生血管神経がうまく消退せず痛覚過敏が残るだろう」

上記はあくまでも例でもっと他にも理由はあげられますが、考え方の違いがあることがわかっていただけるでしょうか。

なので、画像上の転位が少ない骨折を見た時に「転位がない」ときっぱり言ってしまうことに非常に違和感を覚えます。

こういう考え方やスタンスが非常に柔整師には大切なのです。

そしてその普段からの骨折に対する基本的なスタンスが言葉の端々に現れるので、やはり私はこのような言葉の使い方にちょっぴり敏感です。

さて、長くなってしまいしたが共感していただける人はいますでしょうか。

ではまた。

ちなみに、レントゲンが画像の症例は教え子の先生が見た段階ですでにアロディニア状態にあり、疼痛治療が大変だったようです。