柔整師に師匠は必要か

怒られている人の画像

皆さんごきげんよう、朝倉み…外傷柔整師ほねゆきです。

もう冬の匂いがぷんぷんしておりますが、昼間は暑い日もあって上肢にギプスを巻いている患者さんは着ているものの調整が大変そうな季節です。

個人的には、紅葉の中でサップをしたり、北アルプスを登ったり、澄んだ海でダイビングしたりと楽しい時期でもあります。(自然でのコーヒーはどちゃくそに美味しいです。※お酒は飲めないのです。)

さて、今回は怪我をみる(みれるようになりたい)柔整師にとって師匠は必要なのかどうかを勝手に考えていきたいと思います。

師匠とは

師匠が必要かどうかを考える前に、師匠とは何かを定義しなければいけません。

ほねゆきが「師匠」と言われてパッと考えたときに、まず前提として自身が「弟子」であることが必要なんだと思います。

弟子があっての師匠ですから。

そして、「師匠」に連想されるものは「何か具体的なことを教えてくれる(くれた)人」や「行く末を指南してくれる人」、あるいは「直接的に関係がなくとも業界で名の知れた人」といったところでしょうか。

さて、Googleさんにも聞いてみます。

ほねゆき

おっけいぐーぐる、師匠ってなに?

Googleによると、「学問・技術・遊芸を教える人」とのこと。我々のイメージ通りの言葉のようです。

では、「師匠がいたら弟子も必要だろ」ということで、「師弟」についても調べてます。

ほねゆき

おっけいウィキ、師弟ってなに?

「師弟」

経験によって培った知識・技能などを伝授する関係で、伝授する側が師、伝授される側が弟子となる。広い分野にわたって見られ、宗教でも直接教祖の教えを受けた者は弟子と呼ばれる。経験豊富という点から年長の立場にある人が師匠となることが多いが、必ずしも年齢で判断できない例もある。弟子は師の教えを受け継ぎ発展させるが、意見の相違などから別の流派を立てることになる例もしばしばある。道場や教室に入門する場合、指導役のトップの地位にいる人が自分の師匠になる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/師弟より一部抜粋

なるほど、師匠はやはり弟子に何かを伝授する立場の人を言うんですね。そして、その他の要素は関係ないと。

柔道整復術はどうあるべきか

我々柔道整復師のいわゆる怪我に対する施術というのは、柔道整復師法にそう明記してあるために柔道整復術と言われます。

一般的には「治療」とか「施術」などと呼ばれますね。

これらがどうあるべきかに関しては、各々が色々な考えをお持ちでしょうから「こうあるべき!」とは言いませんが、私なりの持論をお伝えしたいと思います。

我々柔道整復師の施術は医療です。ここでいう医療とは、法や行政の区分のことを言っているわけではなく、ある程度科学に基づいたものである(べき)ということです。

現代では専門分野は細分化されすぎていて世界的にも研究者・診断治療者は世界を分けて治療にあたっており、施術者が全て科学的根拠を理解して説明できる必要はないと思っていますが、「独自で生み出した治療」を患者さんに行うほど危ないものはないと思っています。

このことから、やはり誰かに正しいこと(安定して結果を出せる理論や方法)を教わらないといけないと、個人的には思います。

これまでに多くの先人たちが検証して実際に患者さんに行って、結果が出て、注意点が分かっているものの方が安全で成功率は高いですよね。

ということで、柔道整復術は外傷保存療法の極みですから「誰かに教わる」ことは必須だと思うのです。

師匠をつくる

さて、前述したように柔道整復術を自分でやっていくには「師匠」のような「柔道整復術を教えてくれる人」は必要なんですが、学校教育ではその基礎の基礎の基礎くらいしか教わりません。

ですので、どの医療職も同じなんですが現場に出てから研修を受けないといけませんね。

つまり、師匠探しをしないといけません。

就職活動とか研修先選定とか言いますが、外傷をみたい柔整師に必要なのは要は師匠探しなわけですね。環境は人が作りますし、研修内容も人が作る。その「人」を師匠と呼ぶと。

その「師匠」は一人でもいいし、複数人でも良いと思います。

かくいうほねゆきも、これまでに師匠と呼べる人は少なくとも4人はいますし、同時期に2人に同じことを聞きに行ったりしていました。(こっそり回答を比べてました。)

弟子にはなりたくない

さて、「師匠が必要だ」ということには皆さん異論は少ないんじゃないかと思うのですが、前述したように「弟子」になることには抵抗がある人も多いのではないでしょうか。

「弟子」というと、何か仕事と関係ない雑用をやったり、時間外に師匠の個人的用事で呼び出されたり、住み込みで働いたりと何かと嫌なイメージが先行しますよね。

過去にほねゆきの教え子から聞いた話だと、「時間を守る訓練」と称して接骨院の院長のペットの犬の散歩を毎朝させられていたとかいう酷い事例もあったようです。

確かにそんな名ばかり弟子にはなりたくないですね。

ウィキの内容にあるように本来の弟子は丁稚奉公(でっちぼうこう)ではなく、単に「教えを受ける人のこと」を言うので、悪しき風習は消し去るべきだと思います。

師匠は必要だが…

そこで、ほねゆきが提唱するのは〈師匠は作った方がいいが、弟子かどうかは弟子が決める〉という新しい文化です。笑

解説します。

これは〈師匠側が勝手に弟子を弟子と思うな〉ということです。

柔道整復術の技術や素養がある人は教えを乞う人にはきちんと教えて、教えを貰う人はその人にきちんと敬意を払う関係をうまく築いてから臨床にあたるべきだと思います。

そのときに、教えを貰う側が自分のことを「弟子」と思ったり、教えてくれる人のことを「師匠」と思うのは良いのですが、

教える側は自分のことを「師匠」だとか教えている人のことを「弟子」と思い始めたら良いことないよということです。

どんな立場になってもおごらずに相手に真摯に向き合うのがそれぞれのためです。

弟子入りの本当の意味

では、なぜ昔から「弟子入りして技術を盗むのが大切」と言われているのか。

これは〈どこの誰かも分からないやつに理論や技術を教えても本質が伝わらずに失敗(医療事故)するから〉なんです。

確かに、師匠の一回の発言だけをもってして全てを教えてもらった気になる弟子がいたら大変です。

その一度の誤りが次の誤りを生み、結果的に師匠の風評被害にもなりますし、なにより患者さんが被害を受けます。

だから、ある程度の関係性を築かないといけないということで、「弟子入り」という制度?文化?が生まれているんですね。どの業界もそうかと思います。

これは、現代でも同じなんだろうと思います。

何にも知らない人が急に「これ教えて」と来ても、その人がどの程度の臨床経験があるのかも分からないし、どこまで前提となる知識をもっているのか分からないので、教えたくても教えられない。

なので関係構築は必要なんですが、現代ではネットもSNSもあるのでこの手間は昔より簡単ですね。

皆さんは、「師匠」と呼べる人を持っていますか?

分からないことがあればすぐに相談できる環境を手にしていますか?

「師匠」は自分の職場でも、学校の先生でも、SNS上でも、遠いところにいてもいいと思います。

適切な師匠を見つけて、その人に近づく力をつけるのが一番最初にするべき「臨床」なのではないでしょうか。

ぜひ皆さんの持論をコメントください。では、また!