「レントゲンを撮らなくても分かる」の真意

レントゲンは必要ない

こんにちは!外傷柔整師ほねゆきです。

台風が過ぎていきなり寒くなり、ほねゆきの接骨院では体調を崩す患者さんも多くなってきました。新型コロナウイルスの存在も忘れかけている人も多く、症状の軽い風邪を適切に引くのは免疫にとっていいことかもしれません。

かくいうほねゆきは、幼少期に汚い環境でたくさん遊んでいたおかげか、大人になってからはあまり風邪を引かずに過ごせており、この寒さでも風邪は引かず、割と平気です。

しかし、毎晩の日課であるジョギングの時は流石に寒い。ついにヒートテックを引っ張り出してしまいました。

このように、文明を持ったヒトという存在は寒い環境では暖かい格好をしようとするなど、環境に応じて生きていけるように進化してきました。

さて、そんなヒトである柔整師はどうでしょうか。

私はあまり歴史に興味はありませんので詳しいわけではないですが、教員バリバリ時代には柔整師のことをもっと知ろうと、国会図書館などで色々な文献を漁って、柔整師の歴史について調べたことがあります。

もちろん柔整師は、現代のようにレントゲンなどといった画像検査が全くない時代から日本を支えてきた歴史があるのです。

しかし、これは昔の時代における昔の話です。現代とは環境も文化も思想も科学技術も違いますね。

柔整師が「昔からの経験があるからレントゲンなしに骨折がわかるんだー!」と叫んだところで、〈せやかて工藤〉状態です。

柔整理論を学ばない(学ぶ必要のない?)整形外科医などの他職種からすれば本当にハテナ×40億4890万ベリーが頭に浮かぶことでしょう。

そんなところで今日はタイトルにあるように、一部の柔整師が言う、「レントゲンを取らなくても骨折は分かる」の真意を紐解きたいと思います。

結論

丁寧に文章にすると・・・

「受傷機転や臨床所見を総合的に勘案すれば骨折の有無や転位はおおむね予測でき、第三者に対して理論立ててそれを伝え共有することは可能だが、ベースとなる知識や考え方が全く異なる間柄であればそれは厳しく、結果的にその状況判断材料は骨折を裏付ける客観的証拠にはならないと言わざるを得ない。」

といったところでしょうか。当たり前のことですね。

ここで重要なのが、〈骨折の有無や転位を判断(※)する〉ということと〈第三者に客観的に証明する〉ことの2軸があることです。

※ここでいう「判断」は柔整師が診断という単語を避けて言う単語としてではなく、一般的な意味での判断。

SNS上で繰り広げられる医師を含む一部の医療関係者と一部の柔整師の会話は、ここを互いに揚げ足をとっているという状況が裏にあると思われます。

一部の柔整師が「レントゲンを撮らないと骨折が分からないと言うならば、それは思考や観察が足りていない証拠だ」と他方に批判的に言っているのに対して、他方からは「レントゲンを撮らないと客観的に骨折の有無や転位を示すことはできないだろう」と言っているという構図です。

そしてそんな単純な問題ではない状況でもあります。

先ほど「受傷機転や臨床所見を総合的に勘案すれば骨折の有無や転位はおおむね予測でき、第三者に対して理論立ててそれを伝え共有することは可能だが、ベースとなる知識や考え方が全く異なる間柄であればそれは厳しく〜」と書きました。

そうです。整形外科医でも柔整師でも臨床に長けている先生であればレントゲンを撮らなくとも、かなりの高確率で骨折の有無や転位を予想することはできるのです。(現に存在することは言うまでもありませんね。)

しかしここに、そのような世界を知らない、つまり本当にレントゲンを撮ってみないと骨折の有無が分からないと思っている臨床に乏しい人が登場するので、話がややこしくなる。

ほねゆきは個人的に一部の柔整師の言葉の足りなさが事を招いていると思ってはいますが、多面的に物事を捉えることは重要です。

柔整師の言う「骨折かどうか分かる」

ほねつぎ(あえて柔整師とは言わない)からしてみれば、レントゲンのない状態でいかに患部を把握するかに重点を置いており、対診後に得られる画像は確認や記録にすぎないものという位置付けであることは事実です。

まさに柔整理論の領域ですね。もちろん、症例によりますよ。

そこを全く理解できない、つまりそんなことができるはずがないと思っている、もしくはそんなことを考えたこともない人が、一部の柔整師の言う「レントゲンがなくても〜」を聞くと、憤慨するのでしょう。

ここで重要なのが、「レントゲンは不要」だとも「医師の同意が不要」だとも言っていないことです。

一般的に柔整師が医師に骨折治療の同意を得る際に、医師の診察、レントゲンなどの画像検査が必須(法的にという意味ではない)とされていることは一部の柔整師も重々理解しているのです。

柔整師がレントゲンも撮らずに乱暴に骨折治療を強行しようとしていると言う意見は、まさに愚考でしょう。

しばしば柔整師について誤解が生まれますが、法的な問題と、一般的な運営とでは話を分けて議論しなければなりません。

お分かりいただけただろうか・・・

国家間の争いもそうですが、文化や根本的な思考の違いは対立を生みます。

ほねゆきはこれからも患者さんにとっての柔整師を模索していくと同時に、柔整師の見られ方について俯瞰して見ていこうと思います。

なんの話だったかわからない人もいたかと思いますが、タイムリーだったのでつい記事にしてしまいました。

しかし、気に障る言い方を・・・。我がふり直します。