みなさん、お久しぶりです。
前回の記事は2024/1/18でしたが、その記事を書いた後に次の記事を書こうと思って、そのまま寝落ちしてしまい、なんと今日6/29まで寝てしまっていました。
寝る前は寒かったのに、起きたらもう夏なんですね。
しかも梅雨真っ只中だそうで、なんとも蒸し暑いです。
ようやく目が覚めたので、ブログもぼちぼち書いていこうと思います。このブログも割とインプレッションが伸びて検索でも引っかかるようになり育ってきたので嬉しい限りです。
やはりブログはニッチに限りますね。コメントも全部読んでます。ありがとうございます。
さて、今日は柔整師と「保険」について、改めて整理して理解できればと思います.
ブログを待ちに待ちに待ち侘びていた諸君、気合を入れて読んでくれたまえ!!!!れっつごー。
接骨院は「保険が使える」?
一般の方はよく「接骨院は保険が使える」と言いますが、これは実は誤りです。
柔整師ならそれは周知の事実だと思います。
正しくは、「柔道整復師の施術の一部は療養の給付の対象になる」と言うべきです。
※「療養費」については別記事で解説します.
巷(ちまた)でよく言われる「保険が使える」という表現は、あくまでも患者さんが使う言葉であって,保険医療に関わる人間が使うべき言葉ではありません.
分かりやすく患者さんに対してその言い方をするのは構わないと思いますが,「保険が使える」という表現は制度を正しく言葉にしていないので不適切だと考えています.
そもそも,「保険」といっても色々あります.
例えば,医療保険,生命保険,損害保険など多種多様な保険が存在するため,「保険」という単語は具体性に欠けます.
というと揚げ足取りのようですが,柔整師でも意外とそれすらわかっていない人がいるので注意しましょう.なんとなくの把握ではいけません.知っている人も改めてお付き合いください.
そういう視点でみると,「保険」は大きく「公的医療保険」と「私的(民間)医療保険」に分かれますね.
公的医療保険とは
公的医療保険は,国や地方自治体が運営する医療保険制度であり,国民が病気や怪我をした際に必要な医療サービスを受けるための費用を一部負担する仕組みのことですね.
具体的には健康保険,国民健康保険,後期高齢者医療制度,共済組合などがあります.
これらは全部,税金が投入されています.公的,つまり国や地方自治体が運営するということですが,ほぼイコールで公金が入ります.
公金とは,国や地方自治体などの公共団体が保有・管理する資金のことを指します.具体的には,以下のような資金源が含まれます.税金や保険料,地方交付金,国債や地方債などなど.
労災保険や雇用保険,年金なども公的な保険と言えますが,これらは医療を主とした保険ではないので一般的には「公的医療保険」とは言わないことが多いです.
ですので,みなさんは公的医療保険と言われれば,健康保険,国民健康保険,後期高齢者医療制度,共済組合の4つと,ほとんど医療に役割を振られている労災保険を思い浮かべるようにしましょう.
皆さんもここまではなんとなく知っていると思いますが,駆け出しのころの私は「なぜ公的医療保険を1本化しないのか」という疑問を持ちました.
答えられる方はいますでしょうか.もう少し詳しくみていきましょう.
医療保険制度の歴史
なぜ一本化しないのかという疑問の答えは「歴史的に別々に生まれたものだし,それでは成り立たないから」です.
それぞれの歴史を見ていきましょう.
健康保険
戦前の話ですが,健康保険法が1927年(昭和2年)に施行されました.これは,日本における初の公的医療保険制度です.
明治維新以降,日本は急速な産業化を進めて工場労働者が増加し,過酷な労働環境により労働者の健康問題が深刻化したそうです.
時の労働者は,一日12時間以上の長時間労働が一般的だったそうです.週6日勤務が普通であり,労働者は1週間に70時間以上働く.賃金は家族全体を支えるには不十分であり,劣悪な生活環境に追いやられることが多かったとのこと.つまり私は戦前の人よりも働いているということになります.
当時は一般的に、診療費の自己負担率は3割だったようです.
日本政府は,ドイツの社会保険制度を参考にし,独自の健康保険制度を検討したそうです.
現行の健康保険法の内容のほうがもちろん対象や給付は拡大されて充実していますが,3割というのはこの時から始まっていたんですね.
余談ですが,日本初の民間医療保険は1940年(昭和15年)に東京海上火災保険株式会社(現在の東京海上日動火災保険株式会社)によって提供されました.
もっと余談ですが,医療に限らず話すと1879年(明治12年)に現在の野村證券の前身である「野村組本店」が日本初のちゃんと仕組化された火災保険を提供したそうです.
本題に戻りますが,戦前の1930年(昭和5年)に健康保険法が施行され,それが戦後にガラッと変わります.
国民健康保険
それまでは先ほども言ったように,主に工場労働者を想定した医療保険だったのですが,GHQのお偉いさんが「ジパングのオマエラハ,みんなホケンにハイリなさーい」と言って国民健康保険制度というのを作ります.
国民健康保険制度というのは,農業従事者や自営業者,無職の人々を対象にしたものです.
1958年の国民健康保険法の制定に基づき、各市町村で国民健康保険制度の整備が進められたのです.
1961年までに国民健康保険が全国に普及し,全ての国民が何らかの公的医療保険に加入することが義務付けられました.
正確に言うと,国民健康保険法および関連する法律により,日本国内のすべての市町村は国民健康保険を提供することが義務付けられました.
会社に所属するひとたちの「健康保険」と,それ以外のひとたちの「国民健康保険制度」がそろって,結果的に国民皆保険になります.
国民皆保険にすることによって,国民が安心して政府の支持率を高めようとした狙いがあるとかないとか.戦後の復旧を急いだそうです.
共済保険
ちなみに,公務員や私立学校教職員は共済組合に入りますが,これはまた別軸の歴史があり,さかのぼると戦前の健康保険法の制定と同じ時期に始まった,官吏共済組合(現在の国家公務員共済組合)というものになります.
なぜ健康保険に入らなかったのかというと,健康保険法の制定よりも前から公務員という集団での福利厚生制度が保険として十分に機能していたからという歴史的な背景があります.十分な給与でかつリストラがない安定した職においては,その集団内で完結させた方が制度が充実するし,継続しやすいということですね.
後期高齢者医療制度
1983年(昭和58年)に実は老人保健法というのが施工されていて,70歳以上のひとは1割負担でいいという制度が始まります.
それまでは国民健康保険において特に高齢者の医療費負担を軽減する特別な制度はありませんでした.
高齢者の医療ニーズが高まる中で,高齢者の負担が大きくなることが問題視されるようになり老人保健法の制定に至ったそうです.
しかし,その後に高齢化が問題となり負担を賄いきれなくなり,新しい制度を作ります.
それが後期高齢者医療制度です.
2006年に成立した医療制度改革関連法に基づき、後期高齢者医療制度が導入されることが決定されました.
老人保健法は2008年3月31日をもって廃止され,「高齢者の医療の確保に関する法律」(高齢者医療確保法)に基づいて2008年4月1日から後期高齢者医療制度が始まったのです.
以下に表でまとめましたのでご覧ください.
色々と個人的な意見を言いたくなりますが,政治的な話はブログを汚すのでやめときますね.笑
柔整師の施術と公的医療保険
さて,ここまでは公的な医療保険についてみてきましたが,柔整師との関係はどういったところにあるのでしょうか.
冒頭にもお話ししましたが,柔道整復師の施術の一部は療養の給付にあたります.
では,それぞれの公的医療保険において療養の給付が定められているのか,定められているとしたらどのように定められているのかが気になりますよね.
まず,各保険制度にそれぞれその根拠となる法律があります.
その法律の中に「療養の給付」という条文があります.
その条文に「療養費の支給」について定められています.
例えば,健康保険法第87条(療養費の支給)には「被保険者は、療養の給付に代えて、又は療養の給付を受けることができなかった場合において、その療養を受け、又はその療養に要した費用を支払ったときは、療養費の支給を受けることができる。」と書かれています.
しかし,療養費の支給について条文に詳細な規定が書かれているわけではありません.
では,どこに書いてあるのか.
その詳細は各法律の施行令・施行規則に定められており,それに基づいて厚生労働省が具体的な施策や取り扱い方法を明確化するために、詳細なガイドラインを作成しています.
以下に法令や規則の構造を記載しました.
表をよく読んでみてください.
法や施行令・施行規則ってそもそも何なの?という方のために以下の表も参考にしてください.
さて,仕組みがだんだんと分かってきましたか?
漠然と「保険ってなんだろう~」っていう人には是非,整理して理解してもらいたいです.
次は「療養費ってなに?」について解説したいと思います.
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